古墳の中に隠された秘密の部屋?発見された謎の空間とその意味
今回は、古墳の中にある不思議な空間について紹介します。古墳というと、土や石を盛って築かれたお墓で、その中心には被葬者を安置する石室や槨があるというイメージがありますよね。しかし、実は、古墳の中には石室や槨以外にも、何かを収めるために作られた空間が存在することがあります。それが、今回のテーマである「秘密の部屋」です。では、どんな部屋なのでしょうか。
日本最大古墳の仁徳天皇陵古墳で例えます。
この石室は、前方部の頂上から入口まで約100メートルの長い廊下でつながっています。この廊下は石室よりも低くて狭くて暗くて湿気が多くて、非常に不快な空間です。しかし、この廊下には驚くべき発見がありました。それは、廊下の途中にある小さな空間です。この空間は長さ約2.5メートル、幅約2メートル、高さ約1.5メートルで、廊下から一段高くなっています。この空間には何も入っていませんが、壁面には赤色や黒色の顔料で描かれた幾何学模様や動物や人物などの絵画があります。
これらの絵画は日本最古の壁画とされており、当時の人々の信仰や芸術を知ることができます。では、この空間は何を意味するのでしょうか。考古学者たちは様々な説を唱えていますが、一つの可能性として、この空間は石室の被葬者の生前の居室を再現したものではないかという説があります。
つまり、この空間は被葬者の生活空間であり、壁画は被葬者の思い出や願いや夢を表現したものではないかというのです。もしそうだとしたら、この空間は被葬者にとって非常に大切な場所であり、廊下を通って石室に至るまでの儀式の一部であったのかもしれません。
古墳に眠る恐ろしい伝説や都市伝説
古墳の発掘や調査に関わった人々が不幸な死を遂げたり、奇妙な現象に見舞われたりしたという話です。これらの話は、古代の遺跡や遺物に対して、神秘的な想像力を働かせることがあります。日本で有名な古墳にまつわる呪いや都市伝説としては、以下のようなものがあります。
- 高松塚古墳の呪い:奈良県明日香村にある高松塚古墳は、極彩色で描かれた壁画で知られる国宝級の古墳です。しかし、この古墳が発掘された後に、関係者が次々と死亡したという話があります。その死因は肺癌や交通事故、自殺など様々でしたが、すべて21日という日に起こったとされています。これは、古墳が発掘された3月21日と同じ日であり、被葬者の怨霊が祟ったのではないかと噂されました。
- 将門の首塚:平将門は平安時代末期に反乱を起こした武将で、平貞盛に討ち取られました。その首は京都に送られて晒されましたが、その後に首だけが飛んで行ってしまったという伝説があります。その首は東京都台東区にある将門塚と呼ばれる場所に落ちたとされています。この場所は古くから不気味な場所として恐れられており、近くに住む人々や将門塚を暴いた人々に災難が降りかかったという話があります。
- 埴輪の呪い:埴輪は古墳時代に作られた土製の人形や動物などの形をしたもので、古墳の周囲に置かれていました。埴輪は王や首長の権威を示すものだったと考えられていますが、一説によると埴輪は王や首長の怨霊を鎮めるために置かれたものだったという説もあります。埴輪を持ち帰った人々や埴輪を破壊した人々に不幸が起こったという話もあります。
- 鬼の窟古墳:宮崎県西都市にある九州最大の古墳群の一つで、二重の堀と土塁に囲まれた大型円墳です。この古墳には鬼に関する伝説があります。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を求めた鬼が、一夜でこの古墳を作ったという話や、鬼が住んでいた石室からは鉄鏃(てつぞく)や金銅(こんどう)の装馬具片などが出土したという話です。
これらの話は、歴史的な事実や科学的な根拠に基づいているわけではありません。偶然や情報操作によって生まれた都市伝説や創作である可能性が高いです。ですが、それは、私たちが自分たちのルーツや文化を知りたいという欲求からくるものかもしれません。
失われた副葬品の行方と探索者たちの苦闘
- 古墳盗掘の歴史とその影響:古墳には金銀や玉などの貴重な副葬品が埋められているという誘惑にかられて、古代から現代まで古墳盗掘が繰り返されてきました。その結果、多くの遺物や遺構が破壊され、古代の文化や歴史を知る手がかりが失われてしまいました。日本で最も古い盗掘の記録は、平安時代の歴史書「扶桑略記(ふそうりゃくき)」に1060年(康平3年)、河内国(大阪府)の推古天皇陵に盗人が入ったとの記述があります。また1235年(文暦2年)には、天武・持統合葬陵が盗掘され、その状況を詳細に記録した「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」が残されました。このように、古墳盗掘は長い歴史を持ち、その影響は計り知れません。
- 古墳発掘の挑戦と発見:古墳にはまだ見ぬ宝物が眠っているという期待と、古墳を保存するという責任の間で揺れ動く考古学者たち。彼らはどのようにして古墳を発掘し、どんな発見をしてきたのでしょうか。例えば、極彩色の壁画で知られる明日香村の高松塚古墳とキトラ古墳は、鎌倉時代に盗掘され、ほとんどの副葬品が持ち去られていましたが、1972年から1973年にかけて発掘調査が行われ、壁画や金属製品などが発見されました。また、天理市の黒塚古墳は1997年から1999年にかけて発掘調査が行われ、中世の大地震で崩壊した石室内から三角縁神獣鏡34面や刀剣類など多数の副葬品が出土しました。これらは「未盗掘」の前期前方後円墳として貴重な資料です。
- 古墳から出土した宝物の謎と魅力:古墳から出土した宝物は、その美しさや技術だけでなく、その意味や役割も興味深いものです。金属製品や玉類はどこから来たのか?埴輪や馬具はどんな役割を果たしたのか?剣や鏡はどんな人物に与えられたのか?古墳から出土した宝物の謎と魅力について紹介します。例えば、三角縁神獣鏡は古墳時代の代表的な副葬品で、その鋳造技術や鏡文様は高度なものです。三角縁神獣鏡は同一の鋳型(または原型)から作られた兄弟鏡があり、その分布や交流を知ることができます。また、埴輪は古墳の周囲に置かれた土製の人形や動物などの形をしたもので、古墳の権威や信仰を示すものだったと考えられています。埴輪には人物形や動物形だけでなく、家屋形や船形などもあり、当時の生活や文化を知ることができます。
- 古墳に残されたメッセージと教訓:古墳は単なる墓ではありません。古代の人々は古墳を通して自分たちの社会や文化、信仰や思想を表現し、後世に伝えようとしました。古墳は私たちに何を語りかけているのでしょうか。例えば、古墳の形や規模は当時の政治的な地位や権力関係を反映しています。前方後円墳は日本列島全体に広がり、大王権の発展を示しています。また、古墳の造営には多くの人々や資材が必要でした。その背景には社会組織や交流網がありました。古墳は私たちに古代の社会や文化を知る手がかりを与えてくれます。